あたまに運動靴

あたまに運動靴

雑記。知識の体系的な整理や学術的な解釈の紹介でない

温度形容詞のあれこれ

 霜の声が聞こえるような冬の朝にベランダに出たあなたは、

「うわベランダ寒っ」

と言うことができる。一方で、暖房の効かない冷えた部屋で眠るとき、布団から脚がはみ出てしまったあなたは、布団を直しながら

「あ脚が寒い、、」

と言うことができる。さらには、外で不意に北風に吹かれたとき、

「あーー風が寒い!」

と言うことができるだろうし、天気予報で最低気温が氷点下であることを聞いたときには

「今日は寒いのか、、」

とつぶやくことができる。同じ「寒い」という形容詞であるけれど、1つ目は「ベランダ」という場所について述べていて、2つ目は自分の「脚」という自身の一部について述べている。3つ目は場所でも物でもなく、いわば〈寒さの原因〉を対象にとっているように見える。4つ目は、、なんだろう。

 さらに、「うるさい」は「寒い」と同様に感覚を表す形容詞であるが、

「電車の通る音がうるさい」

と言うのに対し、

「電車が通るので耳がうるさい」

と言うことはできない。「寒い」が対象物と感覚器官(先の例でいう「脚」)の両方を主語にとれるように見える一方で、「うるさい」は音を発する対象物(あるいはその音が響く空間)のみを主語にとり、感覚器官を対象にすることはできないようである。このような形容詞が述べる対象物の範囲は、どのような規則で決められるんだろうか

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 日本語形容詞には、主観的な感情や味覚や温度といった感覚を表すもの、客観的な物の性質や特徴を表すもの、その他にも様々なものがある。そのうち、量を表す形容詞の分類について、形容詞群を『対象が〈物〉であるか〈場所〉であるか』という基準から二分するという分け方を考えることができる。例えば、「長い」「重い」といった形容詞は〈物〉を対象にとるものである。反対に、「広い」のような形容詞は〈場所〉について述べるものである。

 そして、"温度"も、"質量"や"広さ"といった量の一つであると解釈すると、上と同様に温度を表す形容詞についても、それが『〈物〉の温度なのか〈場所〉の温度なのか』という、対象の意味に基づいて分類することができるだろう。
「冷たい」「ぬるい」といった形容詞は「これは冷たい」と言えて、「ここは~」とは言えない。だから、これらは〈物〉の温度を表す形容詞である、と言えそう。そして「寒い」「涼しい」といった形容詞は「ここは涼しい」と言えて、「これは~」とは言えない。だから、これらは〈場所〉の温度を表す形容詞である、と言えそう。



 しかし、ここで疑問を持ったことがある。それが、先に述べたような、〈形容詞の対象〉と〈その形容詞が表す様態を知覚する感覚器〉の両方をガ格にとることができる形容詞の存在についてだ。


量を表す形容詞
のうち〈物〉について述べる形容詞である「長い」「重い」について、

「この棒は長い」
「この買い物袋は重い」

に対応して、"長さ"を知覚する器官である視覚(目)や、"重さ"を知覚する腕を主語にして

「(長い棒を目にして)目が長い」
「(重い買い物袋を持って)腕が重い」

などと言うことはできない。
同じく量を表す形容詞のうち〈場所〉について述べる形容詞である「広い」について、

「この部屋は広い」

に対応して、______"広さ"を知覚するのは身体全体であろうが、やはりそれを主語にして

「(広い部屋の真ん中に立って)身体が広いなァ」

といった文をつくることはできない。

一方で、温度を表す形容詞のうち〈物〉について述べる形容詞である「冷たい」については、

「氷が冷たい」

に対応して、

「(冷たい氷を手で持って)手が冷たい!」

と言うことができる。
同じく温度を表す形容詞のうち〈場所〉について述べる形容詞である「寒い」についても、

「廊下が寒い」

に対応して

「(寒い廊下をスカートで歩いて)脚が寒い」

と言うことができる。
このように、温度形容詞がその対象と感覚器の両方を主語にできるのに対して、温度以外の量を表す形容詞ではそれができないように思える。量を表す形容詞温度を表す形容詞の両方とも、『対象が〈物〉か〈場所〉か』で分けることができるという同じ性質を持つ形容詞群であるにもかかわらず、このような違いを考えることができる。

 このことについて、この違いは、その形容詞が表す様態の知覚が生理的な感覚に基づいているかどうかという違いによるのではないか、と考えた。"温度"という量は、〈暑い/寒い〉 〈熱い/冷たい〉〈暖かい/涼しい〉といった皮膚や舌といった身体における感覚器によって認識される触感から判断され、快/不快の感覚などと併せて処理される量であると思う。しかし、"長さ"や"広さ"という量は、生理的な感覚というよりは、対象について得られた情報を何らかの基準と比較することで判断しているに過ぎないので、目で見て長さを知覚したり、手で抱えて重さを感じたりと、必ずしも身体の感覚器で認識する必要はなく、「その部屋は家賃5万で12畳ですよ」などと情報のみを与えられた場合でも「その部屋は広い」というように言うことができるのではないだろうか。

 ここで、温度形容詞生理的な知覚に基づいた他の感覚形容詞について、その対象と感覚器の両方を主語にできるのかどうかを見ていきたいと思う。例えば、感覚形容詞のうち〈物〉について述べる形容詞である、「甘い」のような味覚についての語はどうだろう。

「このイチゴはとても甘い」

に対応して

「(とても甘いイチゴを食べながら)舌が甘い!」

という文を作ってみると、これは不自然である。それでは、感覚形容詞のうち〈場所〉について述べる、「暗い」のような語はどうだろう。

「この部屋は暗い」

に対応して

「(暗い部屋で)目が暗い」

という文を作ってみると、やっぱり不自然だ。表したい感覚が、生理的な知覚に基づく感覚であるかどうかという点は、その形容詞の対象と感覚器の両方を主語にできることの根拠ではないらしい。


 そもそも、温度形容詞がその対象と感覚器の両方を対象にできることについて、〈物〉について述べる温度形容詞と〈場所〉について述べる温度形容詞とで、その根拠は異なるものであるかもしれないな、とも思った。両者には次のような、温度に関わる語として決定的な用法の違いがある。〈場所〉について述べる「寒い」「暑い」といった類の温度形容詞は「寒がる」「暑がる」の形をとれるのに対して、〈物〉について述べる「冷たい」「熱い」といった類の温度形容詞は「冷たがる」のように言うことはできない。

 さらに、この差異についても、これらの温度形容詞の対象が〈物〉であるか〈場所〉であるかによって生じる違いであるとも限らない。それぞれの温度形容詞が持ち得る何らかの別の要素が、「~がる」型の形成に関与しており、そして単に、同時にその要素が温度形容詞の対象を〈物〉とするか〈場所〉とするかの決定にも関与している、という仕組みも考えられるはずだからだ。例えば、"温度"を感じる部位による違い、局所的な感覚に基づくのか或いは特定部位ではなく身体全体の統一的な感覚なのかといった要素や、快/不快感覚の有無、知覚部位と外部温度との差、などなど、、


 そしてもうひとつ疑問なのは、「寒い」を述部とする冒頭の例文の

「ベランダは寒い」
「冬は寒い」
「北風が寒い」

のような文においては、どれを主語とするんだろうかということ。まず、「ベランダは寒い」の文について、「寒い」の認知主体は言語化されておらず("寒い"と感じているのは話者であるが、文中に一人称は出てこない)、「ベランダ」は述語である「寒い」が述べている対象であると同時に、認知主体がいる〈場〉でもある。ここで、主語(主格)は、「ベランダ」なんだろうか?「ベランダは」は発話者がおかれた状況を示す状況語であり存在物ではないため主語にはなり得ない、と考えれば、この文には主語は現れないことになる。一方で、この文を認知主体のいる〈場〉の属性について述べている文だと解釈すれば、「ベランダ」を主語とみなせると思う。なお、「冬のベランダは寒い場所である。」であれば、「寒い」は述語ではなく「場所」にかかる修飾語であり、「ベランダ」は「場所である」の主部であるといえる。
 けれども、「冬は寒い」の文に関して、「冬」は〈場所〉ではない。「夜は寒い」なども同様であると思う。これも、場所placeそのものではないが、話者がいる状況としての"局所的な時間"を〈場〉の一種とみなして、この「~は寒い」の構造をとっているんだろうか。

 なお日本語文の主語については

「象は鼻が長い」(三上文法)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(抜けたのは何?)
「お昼ご飯何がいい?」「ぼくはハンバーグ!」「ぼくはウナギ!」(ウナギ文)
「ダイエットにオススメの食べ物を教えてよ」「うーん、コンニャクは太らないよ」(コンニャク文)

のような「主語は何?」「主語はないの?」となるケースが多く存在していて、様々な議論が交わされているようなので、おもしろい

 

 さらにさらに、「ベランダ」は〈場所〉だけれど、「北風」はなんだろう。不思議なことに、「北風」は「寒い」と「冷たい」の両方の類の温度形容詞とも共起する。「北風が寒い」の場合は、風を「身体を統一的に取り囲むもの」、つまり〈場〉として捉えていて、「北風が冷たい」の場合は、風を「身体の任意の部位で瞬間的に触れるもの」〈物〉として捉えることで、ガ格とっているのかな。

もっと考えたいことは沢山あるけれど、よく整理できたらまた書こうかなと思う。